自由意志は存在するのか

自由意志

自由意志が存在するのかについて説明しましょう。 ではまず、今朝のあなたの出来事を振り返っていただきたい。

あなたは今朝、いつものようにパンにイチゴジャムをぬって食べた。 冷蔵庫の中にはブルーベリージャムとピーナッツバターもあったのに、あなたはそれらではなく、イチゴジャムを選んでパンにぬったのだ。 ブルーベリージャムやピーナッツバターを選んだからといって、あなたを怒る人は誰もいない。 あなたはパンに何をぬるのかを自由に選ぶことができた。 つまり、あなたは自由意志でイチゴジャムを選んだのだ。

では、なぜあなたは数ある選択肢の中からイチゴジャムを選んだのか? 答えは簡単。あなたはイチゴジャムが好きだからだ。 イチゴジャムを食べるとおいしいと感じるからだ。

では、なぜあなたはイチゴジャムを食べるとおいしいと感じるのか? (屁理屈のように感じるだろうが、もう少しお付き合いいただきたい。) それは、ブルーベリージャムやピーナッツバターよりも、イチゴ味が最もあなたの脳内の味覚や快感を司る領野を刺激するからだ。

まとめるとこういうことだ。

イチゴ味があなたの脳内の味覚や快感を司る領野を刺激する

イチゴジャムはおいしいと感じる

イチゴジャムを選んで食べる


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今朝、あなたがパンにイチゴジャムをぬって食べた件は、この論理構造で表せる。 ん? まてよ? この論理構造のどこに"自由意志"が存在するのだ? プログラミングの構文が一文ずつ実行されるかのごとく、イチゴジャムを選んだだけじゃないか。 別に自由意志なんてなかったとしても、上記の論理構造を満たすようにプログラミングされたコンピュータでもイチゴジャムを選ぶだろう。

つまり、あなたは自由意志でイチゴジャムを選んだわけではない。 あなたはコンピュータのごとく、論理的にイチゴジャムを選んだだけなのだ。 しかし、あなたは「いやいや、おれは自由にイチゴジャム選んだんだ!!一番おいしいのはイチゴジャムだが、ブルーベリージャムやピーナッツバターも選ぶことはできたからな」 と言うだろう。

すると、あなたは翌朝、イチゴジャムではなくブルーベリージャムを選ぶだろう。 「おれは今朝、一番おいしいのはイチゴジャムなのにもかかわらず、ブルーベリージャムを選んだぞ。自由意志で選んだんだ!!」 とあなたは言う。

いや、それは違う。 なぜならばあなたは「自由意志で選んだということを証明するために、わざと一番おいしいイチゴジャムを選ばずに、ブルーベリージャムを選べばいい」 という根拠に基づいて、ブルーベリージャムを選んだのだ。

なら、その根拠もコンピュータのプログラミングの一文に追加してしまおう。 コンピュータもあなたと同様にブルーベリージャムを選ぶだろう。

つまり、あなたの脳は複雑にプログラミングされたコンピュータにすぎないのだ。 自由意志なんて存在しないのだ。

「プログラミングは思った通りには動かない。書いたとおりに動く。」 という名言の通りである。

それでもあなたは自由意志でイチゴジャムやブルーベリージャムを選んだというのだろうか。


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